Ep29 【胸のぬくもり・トナ視点】
「う、うぅ……うっ」
「……」
オレが目を覚ますと、キーオは顔をくしゃくしゃにしながらオレを強く抱きしめた。
本当は少し苦しかったので力を緩めて欲しいな、なんて思ったりしたけどオレにそんなことを言う資格があるのか? とも思ったりして、もうキーオの好きにさせることにした。
「よかった…よかったです、トナさん……」
キーオがそう言いながらオレの顔に頬ずりする。
涙が温かくて、けれど冷たい…でも特に不快感はなかった。
「……っ」
だけど、キーオが泣いているのが心苦しくて右手でキーオの頬に触れ、涙を拭う。
本当はもっとちゃんと拭ってやりたがったが、力が上手く入らなかった。
「トナさん…ありがとうございます、けどこれは嬉しくて流れる涙ですから……」
嬉しい、か……オレもお前にまた会えて嬉しいよ。
だけど、そう思うと同時に申し訳なさも感じて…
「……ごめ……んな」
オレは精一杯の声を振り絞り、キーオに謝罪した。
「え?」
お前に何も言わず勝手に部屋を出て行ったこと、魔獣を一人で倒そうとしたこと、本当は死ぬつもりでいたこと…そして、そんなオレの勝手な行動がお前をこんな危険なところにまで駆り出させてしまったこと…謝罪したいことは本当にたくさんあった。 けれど、今のオレにはそれらを上手く言葉に出来なくて…
「ごめん……な」
だからオレはひたすらその4文字だけを繰り返すことしか出来なかった。
すると、急にキーオが唇を重ねて来る。
「!」
まだ謝り足りないのに…けど、オレはキーオがそうしたいのなら、と受け入れる他ない。
そうして、少しの間…ただ、唇を重ねていた。
お互いの熱を確認するように…本当に唇を重ねるだけ…でも、それが心地よかった。
「……っ」
キーオがゆっくりとオレの唇から唇を離した。
けど、その目は…何だか物足りなそうに見えて……オレはもう一度唇を重ねてくれるのかと思った。
「…トナさん、ホテルに戻りましょうか?」
でも、キーオはそんな普通のことを訊ねて来た。
「ここにいても仕方ないですから…それに一刻も早くトナさんを安全な場所へお連れしないと、
と思いまして…」
そう言われたら、オレは頷くしかなかった。
「そうですか…じゃあ、行きましょう」
キーオは自分が着ていた紺色のケープをオレに羽織らせるとそのままオレを抱きかかえた。
そして、ゆっくりとあの魔獣の方に体を向ける。
「……」
あの夢の中で…あの人が言っていたことを思い出す。
この魔獣をこうして討伐したのが本当にこのキーオだったんだなってオレは少し…いや、かなり感心してしまった。
討伐隊のリーダーは自分の魔術があの魔獣に効き目がないと悟った時、パーティーの中で一番弱くて一番従順だったオレを囮にし、その場から逃げ出してしまったのだ。
そして、そのせいで陣形の乱れたパーティーは混乱し、出口から遠い場所に固まっていた4人があの魔獣の犠牲となった。
けれど、オレは魔獣の前に投げ出されたにも関わらず、あの人が素早く助けてくれたお陰で生き残ることが出来た。 そして、その後も……あの人が身代わりになって……
あの時のことを思い出していたら、キーオが出口に向かって歩き出す。
キーオが体を揺らす度オレの体も揺れる。
けれど、その揺れが今は何だか心地よく感じる…オレはキーオの胸に顔を寄せその胸に頬ずりをする。
温かくて、大事に思えて…愛しい…そして、その上こんなに頼りになるすごいヤツだったんだな、お前って…
Ep30 【運命の人・キーオ視点】
洞窟の出口を目指して歩いていると、トナさんが僕の胸に顔を寄せて頬ずりをして来た。
僕はそれが嬉しくて…思わずその場に立ち止まって彼を強く抱きしめたいと思った。
けれど、さすがに今はすべきじゃない…と思い留まり、そのまま歩みを進める。
そして、洞窟の出口に差し掛かった頃、トナさんが僕の腕の中で静かに寝息を立てていることに気付いた。
(よかった…安心して下さってるんだ……)
そう思ったら、僕はより慎重に行動をしなくてはと考え、そのように努める。
けれど、洞窟の出口から森を眺めると…そういえば、ここは一番瘴気が強い場所だった…ということを思い出す。
さすがに彼を抱えたまま、何の武装もせずにここを抜けるのは難しいだろう……だが、他の方法なんて協会に頼る以外に思い付かなかった。 すると…
「トアルディア協会の魔術師さーん!」
少し遠くの方から、おそらくは僕のことを呼んでいるのだろう…という声が聞こえた。
なぜだろう…この近辺に知り合いなど居ただろうか…?
などと考えていたら、目の前の草場を掻き分け、先ほどルースアンまで僕を同行させてくれた冒険者が現れた。
「! トアルディア協会の魔術師さん!」
「あなたは…」
すると、彼の後ろから続々と彼の仲間まで現れた。
「はぁ…はぁ…何その人…ちょっと足早過ぎじゃない…?」
「くそ…剣士ともあろうオレが敏捷性で魔術師に負けるなど…」
「いえ、彼は彼の有名なトアルディア協会の魔術師の方ですから…それは仕方ありませんよ」
けれど、皆一様に息を切らせている…なぜ…?
「あの! オレたち、ルースアンの受付のお姉さんから頼まれたんですよ!」
「え?」
「あなたに加勢して欲しいって!」
「……」
加勢、加勢とはなんだろうか…もしやあの魔獣を倒すための…? だが、もしそうだとするのなら…
「あの…このようなところにご足労頂いたのに大変に申し訳ないのですが…」
「はい…?」
「依頼書の魔獣はすでに討伐しました」
僕がそう言うと、彼らは一様に口を閉ざした。 けれど、
「えぇーーー!?」
彼らはまったく同じタイミングで口を開き、そしてまったく同じタイミングで驚きの声を上げた。
(ああ…静かにして欲しい…トナさんが起きてしまうじゃないか……)
なんて僕が思っていたら、
「あ! けど確かにその人、なんかすっごく汚れてるわね!」
「おお、確かに何か…血のようなもんを浴びてるっぽいな」
「えー…ですけど、あの魔獣は一級討伐対象でしたよね…?」
「まぁまぁ、みんな落ち着いて…」
と彼の仲間たちが口々に言葉を発し、それを彼が制した。
「えーと…じゃあ、それを証明できる魔獣の一部とか持ち帰って来られたんですよね?」
「……あ、いえ、それは失念してました」
「え!?」
彼が僕に驚愕の表情を向ける。
「えー…じゃあ、その抱えているモノは何なのよ?」
彼の仲間の一人が、僕の腕の中のケープを指差す。
「こちらは僕の大切な人です」
「え?」
そうか、ケープが丁度トナさんの顔を隠してしまっているからあちらからは見えないのか…
「僕はこの人のためにここまで駆けつけて、あの魔獣を討伐したんです。
ですから、僕にはもうあの魔獣のことなんてどうでもいいんですよ。
ですのでもしよろしかったら、あの魔獣の一部は、皆さんで持ち帰って下さい」
僕がそう言ってその場から立ち去ろうとすると、
「待って下さい!」
彼がそう言って僕を引きとめた。
「…嘘はついていませんよ」
「いえ! そうじゃなくて…」
「だから! オレたちがちょっと洞窟入って魔獣の一部を切り取ってくるから、
あんたはここでちょっと待っててくれってことだよ!」
「!」
気の弱そうな彼を制して彼の仲間の剣士が僕にそう言って来た。
「あ、ですけど、その…あなたの大切な方はどこかお怪我をされているのでは…?」
今度は大きな弓と矢筒を背中に携えた射手の女性がそう話しかけて来る。
「え? そうなの? じゃあ、あたし治してあげようか?」
そしてその話を受け、華美な衣装を身に纏った小柄な少女が杖を抜く。
「いえ、今は疲れて眠ってしまっているだけですからご心配には及びません」
「あ、そうなの? まぁ、魔獣を倒したって言うんだからその人も大層すごい人なんでしょうね」
その少女の言葉に僕はとても無意識に…
「そうですね…彼はすごい人ですよ」
と口元を緩ませながら言ってしまったような気がする。
けれど、僕があの魔獣を倒せたのはトナさんのお陰なんですから、嘘はついていないですよね。
「…ま、まぁ、ちょっくら行って来るから! あんたは本当にここで待っといてくれよ!
おい! ミルハ! 行くぞ!」
「え!? あたし? もうー……!」
そうして、剣士と少女は洞窟の中へと入って行った。
「……」
待てとは言われたけれど…さて、どうしたものか。
さすがに2人もこの場に残っているのにここを立ち去るわけにもいかない…
僕はそう思って岩壁を背にすると、その場へ座り込んだ。
そして、膝の上にトナさんを優しく下ろすと左手でその顔に触れる。
「あなたが急いでいたのってその人のためだったんですね」
すると、彼がそんなことを言って来た。
「はい、そうです」
「それで、その…男性なんですね……」
「……おかしいでしょうか?」
僕は少し…冷たくそう問いかけたかもしれない。
「いえ! そんなことはないですけど…」
彼は少し萎縮したようにそう言った。 けれど…
「いえ、意地悪な言い方をしました、申し訳ありません」
「え?」
「本当は僕自身、つい数日前までは…こうして男性を好きになるだなんて思ってもみませんでした」
「そう、なんですか…?」
「はい…と言うよりも僕はこうして他人のことを好きになること自体、
自分には絶対有り得ないことだと思っていました」
「はぁ…」
「けれど、数日前にこの人と出会って…僕はどうしようもなく、
この人とずっと一緒にいたいって思ったんです。
だから、この人がどんなに危険な場所に赴いても…僕は駆け付けようと…そう、思いまして……」
なんて…見ず知らずの彼に僕は何を言っているんだろう……
僕はなんだかそれが不意に恥ずかしく感じて、トナさんを少しだけ強く抱きしめた。 けれど、
「素敵ですね……!」
「え?」
今まで黙って話を聞いていた射手の女性が突然そんなことを言って来たので、僕は思わずそちらに視線を向ける。
「つまり、その方があなたの“運命の人”ってことなんですよね!?」
「!」
思いがけないその言葉に、僕はハッとする。
「クーペルカさん……本当、そう言うの好きですよね…」
「好きですよ! だって“運命の人”ですよ!?
今までの人生の価値観をまるっと変えてくれる、そんな素敵な存在…!
ああ、もう! 好きと言うか、ただただ憧れてしまうわけですよ!」
彼女の熱量には何となく辟易したが、“運命の人”に対するその認識には僕はただただ頷くしかなかった。