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  Ep27 【彼を探して04・キーオ視点】

 

薄暗くて、じめっとした洞窟の中…僕はその匂いが嘘であればと思いながら、ただそこへと急いだ。

今はもうこの匂いに恐怖しか感じない……あれほどいい匂いだと思ったこの匂いが、ただ彼の窮地を知らせているだけな気がして……

僕の向かう先から轟音が響き、地面が揺れるのを感じる。

続いて岩が崩れる音が鳴り、土埃の混じった風が僕を通り抜けて行った。

(まだ、戦っている……!)

そう思うと急ぐ足もまた一段と早くなるように感じて、僕はひたすらにその長い道のりを走り続ける。

轟音が鳴り止まない…彼はきっとどこかに身を潜めて魔獣に奇襲をかける隙を狙っているのだろう…けれど、魔獣というのは魔物よりずっと頭の切れる存在だ。

場の読み合いを制しないと勝てる相手ではない……

早く、早く……もっと早く! 彼よりも先に魔獣に奇襲を仕掛けて……!

――だが、そんな僕の耳に一番…聞きたくない音が……響いた。

「え……」

そして、一層強くなるあの匂い……僕はもう……それを嗅ぎたくないのに……

けれど、その後にむせ返るような悪臭が洞窟内に広がり……僕はその場所へやっと辿り着いた。

円形に広がった少しだけ広い空間…そこには数日前、僕が交戦したあの魔物とは比べようもないほど大きな魔獣がいた。

体毛は無く、硬い皮膚で全身が覆われ、まるで爬虫類のような顔と体…そして、その脚には不釣り合いなほど鋭く、大きな爪を持ち、体の至るところに魔力を感知する器官を有していることが…僕には分かった。

そして、その魔獣は壁や地面に4本のそれぞれの脚を突き立て、その大きな体を支えつつ、今まさに何かを呑み込もうと大きな口を開けているところだった……

僕はそこを見るよりも先に…その魔獣に向かって銀色のナイフを向ける。

もう、ほとんど無意識でナイフの切っ先に魔力を込めた……けれど、その間に僕はこの数日間の彼との思い出を振り返っていた。

彼が僕を助けてくれた時のあの美しい戦いぶりを、初めて彼の顔を見た時を、彼が僕に労いの言葉をかけてくれたことを、彼が僕の顔を拭ってくれたことを、彼が僕に飴玉をくれたことを、彼が僕に手を差し伸べてくれたことを、彼と雨の中を駆けたことを、彼と同じ部屋に宿泊したことを、彼が傷を舐めさせてくれたことを、彼と同じ布団で眠ったことを、彼と森の中を歩いたことを、彼と満開のコルルカの花を見たことを、彼とパーティーを組んで魔物を討伐したことを、彼を怒らせてしまった時を、彼がお酒に酔った時を、彼が僕に抱きしめて欲しいと言った時を…

彼の唇…彼の首…彼の胸、彼の肩、彼のお腹、彼の腕、彼の足、彼の指、彼の……

彼の手を取って、彼を抱き寄せ、彼の頭に手を添えて、彼の柔らかな髪に触れるのが好きだった…

そうすると、彼が僕の胸に頬ずりをしてくるのがとても嬉しくて、とても好きで、堪らなく愛おしかった……

だからそんなひと時を、そんな彼をもう一度、この手に取り戻したくて…ここまで来たと言うのに……

醜悪なその魔獣のおぞましく大きな口の中へと…僕は閃光を放った。

青白く煌めきながら…その閃光はまっすぐそこへ飛んで行く……

魔獣が目的のものを取り込むよりも早く閃光がその口へと入り込む。

すると魔獣は素早く口を閉じ、閃光が飛んで来た方向…つまり、僕の方へと視線を向けて来る。

獲物を品定めするような…じっとりとしたイヤな視線…だけど、僕はそいつに何の恐怖も感じなかった……

けれど、僕もそいつから目が離せなかった。

だって、僕はこいつを……惨たらしく殺さないといけないのだから。

銀色のナイフの切っ先を再び魔獣へと向け直す。

魔獣はゆっくりとこちらへ体を振り向かせ、前足を一歩踏み出して来た…

けれど、もう何をしても僕には届かない。

僕は一呼吸を置く…そして、今この場のどんな音よりもこの言葉を響かせることに集中する。 そして…

「閃光よ! 爆ぜろ!」

僕がその言葉を口にした瞬間、魔獣の頭はまるで高いところから落下した果実のように…青白い光を放ちながら、強烈な破裂音を響かせ、あっさりと四散した。

魔獣の血肉が…地面や壁、そして天井にまで素早く飛び散る。

そして、頭を失った魔獣の大きな体はその先を失ったあらゆる部位から体液を吹き出させながら後方へとゆっくり倒れ込んで行き、鈍く、重い衝撃音と振動を巻き起こす……そして、土煙がその空間を満たして行く。

僕はその中をイヤな鼓動を胸に響かせながらそこへと駆け出す。

どうか、どうか……! そんなことを祈りながら、そこへ…彼の元へ……!

けれど、そこに横たわる彼の姿を見て僕は……

「トナさん!!」

声を張り上げて、彼の名前を呼ぶことしか出来なかった……それくらい今の彼の姿は……僕にはとても堪えられなくて……

「…あ、ああぁ……」

僕は力なく地面に膝をつき、震える両手で彼に触れ、彼の体にすがって…泣くことしか出来なかった……

「どうして……どうして、こんな……っ」

僕は…彼の右手に僕の左手を重ねた……けれど、もう昨日までのあの温もりは無くて……僕は思わずその手を強く握りしめた。

僕がもっと早く目覚めて、もっと早く彼の行き先に気が付いて、もっと早く森を駆け抜けて、もっと早くここへ来られていたのなら……!

そんな後悔ばかりが頭に浮かぶ……でも、もうそんなこと…何の意味も……

「!」

強く握りしめた彼の右手が、微かに僕の左手を握り返した……僕は思わず今まで泣いていたことも忘れ、素早く彼の顔を見る。

「トナさん…?」

彼の名を呼んだ。 …けれど、それ以上の反応は帰って来ない。

でも、でも…僕はその右手が嬉しくて、見つめた彼の顔にそっと顔を近づけると…その唇に唇を重ねた。

すると、あの時みたいに…体の奥に火が灯ったような、暖かなあの熱を感じて…僕はこのまま彼と唇を重ねていたら、僕のこの熱が彼に伝わるような気がした。

僕の全身を巡るこの熱を僕の唇から彼の唇へ、そして彼の全身へと伝え、巡るようイメージをする…どんどん、どんどんと彼の中へ伝え、巡らせる…けれど、時折それが困難な箇所があった。

だから、僕はその箇所を正常な状態に戻すイメージをし、もっとその先へ、もっとその奥へ熱を伝え、巡らせる…

そうするうちに僕は、寂しくて、苦しくて…辛かった気持ちが先ほどの嬉しさで満たされて行くのを感じた。嬉しくて、温かくて…幸福で……これはきっとこうして彼と繋がれているからこその気持ちなのだろう。

けど、そうして熱を伝え、巡らせていると、もう…彼の手足の先、頭のてっぺんまでをも僕は巡りきってしまったようだった。

名残惜しさを感じつつも僕は彼から唇を離す…そして、彼の顔を見つめるため、いつの間にか閉じていた目を開く。 すると…

「!」

彼が……僕の顔を…その大きな青い瞳で見つめていた……

「と、トナさん…?」

僕は再び、彼の名を呼んだ。 けれど、今度は……

「…キー…オ……」

トナさんが僕の名前を呼び返してくれた…

  Ep28 【お別れ・トナ視点】

清々しいほど晴れ渡った空…そして、一面に広がる花畑……なんて清々しい場所だろうか…オレはそこへゆっくりと倒れ込む。

「―――!」

けれど、どこからか何かを言われている気がして…オレは起き上がる。

すると、いつの間にか目の前を大きな川が流れている。

不思議に思ってその川を覗き込む。

穏やかに流れるその川の水はとても澄んでいて…オレはなぜだかそこへ入ってみたくなった。 けれど、

「トナさん!!」

突然後ろからそう名前を呼ばれて、オレは思わず振り向いた。

けど、そこには誰もいなくて……オレは首を傾げる。

でも、さっきのあの声……オレはなんだか聞き覚えがあった…でも、それが誰の声なのかが思い出せない。

「トナ」

なんて考えていたら、今度は川向こうから別の声がオレの名前を呼んだ。

けど、オレは…この声の主をちゃんと覚えている。

「…ガナンさん?」

声の主の名前を口にしながら、オレはそちらへと振り向く。

「おぅ、そうだよ。 久しぶりだな」

いかつい顔の輪郭に、短く刈り込んだ黄土色の髪…そして、くっきりとした眉毛とゴツッとした鼻、そして、いつも口角が上がっていた口元…と筋肉質過ぎる体……川を挟んだその向こう側にそんな人物が立っていた。

ああ、やっぱりガナンさんだ……

そうか…オレ、やっとこの人と同じになれたのか…だからこの人と同じ場所に来られたんだ。

じゃあ、オレもこの川を渡らないと……

「けどお前、こんなところに何しに来たんだ?」
「え?」

オレがその川を渡ろうと足を一歩踏み出そうとした瞬間…ガナンさんがそんなことを言って来た。

「だって、お前にはまだこんなところ早過ぎるじゃねぇか」
「え? いや、そんな…! だって、オレのこの体見て下さいよ!」

と言いながらもオレは自分の体を見ることが出来なかった。

だって右足は変な方向に曲がっていたし、左半身なんて……とても見れる状態じゃなかった。

「この体でどうやって生きて行けって言うんですか!」

そう、到底無理な話だ……もしもこの世界に死者を復活させるなんて言う術でもあればそれも可能なのかもしれない。 けれど、そんなものは所詮おとぎ話にしか存在しない。

「? 何を言ってるんだ、トナ。 お前の体は普通に生きて行ける体だぜ?」
「え?」

この人はこの期に及んで何を言ってるんだろう…そんなにオレを生かしてどうしたいんだ? けど…

「……」

オレはガナンさんの話を信じて、おそるおそる自分の体へと視線を落とす……

どうでもいい冗談は言う人だったけど、大事なところでは本当のことしか言わない人だった。

もしかしたら、オレの体は本当に……

「!」
「な? まぁ、装備なんかはひっでー有り様だけどな…ちゃんと買い直さねぇと」

そう、ガナンさんの言う通り、オレの装備はまるで大きな鋭い爪で引き裂かれたような…そんな有り様だった。

いや、“ような”と言うか、まぁ…実際にそうされたんだけど……でも、体の方は全然…右足だって正常な方向を向いているし、引き裂かれたはずの左半身にも傷一つ付いていなかった。

「それよりお前、まだ向こうでやらないといけないことがあるだろう」
「え…」

やらないといけないことって何だろう…オレはそれをやって来たからここにいるはずなのに……

「もしかして、オレにあの魔獣を倒せって言うんですか?」
「え?」
「それは…さすがに無理です、オレもあの魔獣にやられてここに来たので」
「いやいや、何言ってんだよ…魔獣ならもう倒しただろう?」
「え?」

あの魔獣を…もう倒した?

「いえ、そんな…オレは倒せませんでしたよ…?」
「ああ、そうだな。 けど、お前がカッコよく助けたすっげー魔術師が倒してくれただろ?」
「え!?」
「ありがとな、お陰ですっげースカッとしたよ」
「……」

そう、ガナンさんに言われて…オレはなぜか右手で自分の唇に触れた。

「で、お前はその魔術師とやり残したことがあるだろ?」
「え?」
「だから、ケツの穴に―――」
「わぁーーー! 何言おうとしてるんですか!!」

オレは思わず大きな声を上げてガナンさんの言葉を制した。

すると、ガナンさんは少しだけ驚いた表情を見せた後、

「はっは! お前ってそんな反応出来たんだな!」

と顔をくしゃっとして笑った。

「トナ、お前はそのすっげー魔術師のことが好きなんだろ?」
「……」
「だったら、そいつと一緒に生きろよ」
「けど、オレは……」

もう、あいつの元には戻らないと覚悟して…ここまで来たのに……

「はぁー……やれやれ、何でお前はそう自分が大事だと思うものを手放そうとするんだよ…」
「……」

ガナンさんが溜め息を吐きながら、髪をくしゃっと掻き乱す。

「まぁ、それが“物”だったらまだいいけどよ……

 でもお前が手放したそれが“人”の場合はさ、その相手はどうなるんだろうな?」
「え?」
「お前が思わせぶりな態度を取っといてさ、けど急にいなくなったら、

 その相手は納得して何もしないでいてくれるのかな?」
「そ、それは……」

そうガナンさんに言われて…オレは急にあいつが今どこで何をしているのかが気になった。

けれど、もし先ほどのガナンさんの言うことが本当だとするのなら……

オレは急に自分の体の中に熱を感じた。

その熱はまるであいつの肌の熱のような、あいつの内側の熱のような…

「生きていても…いいんでしょうか?」
「おぅ、当たり前だろ」
「彼に会いたいと思ってもいいんでしょうか?」
「おぅ、それも当たり前だろ」
「彼と生きて行きたいと、そう思っても…」
「大丈夫だって安心しろ! お前がそう思うなら相手だってそう思ってる! けど、もう二度と手放すなよ!

 どんなヤツが現れたってだ! お前にはそいつしかいない、そいつにはお前しかいない…

 そう思って、ずっと大事にしろよ!」

ガナンさんはそう言うとオレの後ろをスッと指差した。

オレはその方向を、つまりガナンさんのいるところとは反対の方を振り向く…

「お前はもう大丈夫だし、オレのことだってもう気にするな。

 だって、お前はこれまでよく頑張って来たからな! だから、オレはもうそれで十分だ」
「!」

オレは思わずガナンさんの方へと振り向こうとした…が、

「振り向くな! オレのことは気にするなって言っただろ!」

そう、ガナンさんに言われてしまって…オレは留まった。

「だから、ほら早く行ってやれよ」

その言葉にオレは拳を固く握りしめた。

「はい…!」

そう口に出すと、オレは一歩を踏み出した。

そして、もうガナンさんへは決して振り向かず、ひたすらに前へと歩みを進める。

進む度、周りの景色がどんどんと薄くなって行く……気がつけばオレは眩しくて、暖かな光に包まれていた……

不意に右手をその光に差し出す……すると、覚えのある温もりを感じてオレはそれを強く握った。

もう、目を開けても大丈夫だ…オレはそう思って意識を浮上させる。

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