Ep21 【彼を探して01・キーオ視点】
「うぅ……ん?」
底に沈んでいた意識がゆっくりと浮上して来る…
それと同時に僕は自分の体がとても平らで…そして硬い物の上にあることに気付く。
「……?」
それに意識して手を触れる…平らで…けれど、ふさふさとした感触……
(これは…カーペット?)
ハッと上体を起こす。
すると、僕の背中に掛けられていた布団が微かに音を立てながらずり落ちた。
「……え?」
僕は自分の置かれた状況を……上手く理解出来なかった。
だって、こんなの…不可解過ぎる…そこは僕たちが宿泊しているホテルのあの部屋だったが、なぜか僕はその玄関で眠っていて……だって、昨日眠りについた時はちゃんとベッドで……
そう思い当たった僕は素早く立ち上がり、ベッドへと向かう。
そして、視界に入ったベッドの上には……
「いない……」
そこにいるはずの彼がいなかった。
僕は弾かれるようにとにかく部屋中を慌ただしく駆け回り、彼を探した。
併設された浴場にも向かい彼を探した。 けれど、どこにも…彼の姿はなかった……
「……」
それから僕は自分が先ほどまで眠っていた場所…その部屋の玄関まで戻ってきた。
玄関横のクローゼットを開ける…すると、そこから彼の荷物が一切無くなっていることに気付く。
「…なんで……」
僕は思わずそんな言葉を漏らした…けれど、後一日……つまり今日一日までは一緒に過ごしてくれると言ったのは彼の方だったじゃないか。 それなのに、なんで……
思わず眩暈がして…僕は少しだけよろりと後ずさる。
すると、左足の踵で何かを蹴飛ばしてしまった。
「?」
振り向くと、そこには昨晩僕がサイドテーブルに置いたはずの“香り瓶”が口を開いた状態で転がっていた…
「……!」
そこで僕は気付く。
なぜ、自分が玄関で眠っていたのか…なぜ、こんなところに香り瓶が置いてあるのかを。
このホテルに宿泊した初日…僕が彼を怒らせて彼がこの部屋から出て行こうとしたことがあった。
けれど、彼にはこの玄関扉を開けることは出来なくて…だから、僕はこの部屋に宿泊している魔術師にしかこの扉は開けることが出来ないと説明したのだ。
だから、彼はこの部屋を出て行くために眠っている僕をここまで運び、玄関扉を開けさせたのだろう…
そして、すぐに僕が彼を追わないよう、睡眠を促進してくれるあの香り瓶を眠る僕の近くに置いて…
「……」
だが、そのことに気付いたからと言って、なぜ彼が僕に何も言わないままこの部屋から出て行ったのかが僕にはまったく分からなかった。
これがもし明日の出来事だったのなら…まだ納得出来たかもしれない。
けれど、今日は…今日だけは納得出来なかった。 だって、彼が…彼自身がそう言っていたのだから……
「トナさん……」
いなくなってしまった…愛しい人の名を口にする。
本当なら、今日までは確実に彼に向かってその名を口に出来たはずだった……
名前を呼んで、振り向いた彼の手を取って、抱き寄せて…彼の頭にこの手を添わせ、その少しだけ癖のある柔らかな髪に触れて…そして、僕の胸に頬ずりする愛くるしい彼の姿が…不意に頭に浮かんで来て……僕は思わず鼻の奥につんとした痛みを感じる。
すると、視界が滲んで…それが目から頬へ伝い、こぼれ落ち、カーペットへと染み込んで行く……
(僕、泣いてる……?)
それぞれの手でそれぞれの頬へ触れる……生温かくて…けれど、頬からこぼれ落ちる瞬間冷たくなるそれに…僕は初めて触れた。
「知らなかった…僕って、泣けたんだ……」
そう言葉にしたら込み上げるものがあって…僕は思わずその両手で自分の顔を覆い、抑えることの出来ない寂しさと苦しさを…ひたすらに吐き出し続けた。
なぜ、なぜ……こんな、急に僕の前からいなくなるんですか?
僕は何か…あなたの気に障ることをしてしまったのでしょうか?
それならば言って欲しかった……そうしたら、ちゃんと反省して、あなたに謝ることも、直すことも出来たのに…! なのに…こんな、何も言われないままあなたがいなくなったのでは僕にはもう、どうすることも……!!
喉が、胸が……涙を流し続けながら僕は浅く呼吸を繰り返す。
このまま寂しさと苦しさに呑まれて死んでしまいそうだと思った……いや、その方が逆にいいのかもしれない……
だって彼と出会い過ごして来た、たった数日間の幸福感を僕はもう二度と味わうことが出来ないのだから……
「……」
僕はふらりと立ち上がると玄関横のクローゼットを開き、自分の荷物から“それ”を探した…けれど、どこを探してもそれが見当たらなくて……僕は心臓がイヤな鼓動を繰り返すのを感じる。
だが、先ほど…どこかでそれを見掛けた気がして…僕は再び室内へと視線を戻す。
すると、部屋の中心…そこに置かれたテーブルの上にそれがあった。
昨日僕が手入れを怠ったはずのそれ……けれど、テーブルの上に置かれたその“銀色のナイフ”は美しく手入れされ、外からの光を受けてキラキラと輝いていた。
Ep22 【キーオを残して・トナ視点】
「はぁ……っ!」
心臓がひっくり返りそうな感覚にオレは思わず目を覚ました。
イヤな鼓動を繰り返す心臓を…胸越しにわし掴み、額から流れる冷や汗を拭う。
(……)
ふと視線を横に向けると、静かな寝息を立てながら綺麗な顔で眠るそいつが目に入る。
「……」
オレは思わずそいつの頬に触れそうになる…が、思い留まってやめた。
けれど、オレをがっちりと掴んでいるそいつの腕は剥がす。
そしてベッドに上体を起こし、昨日もしてたみたいにそいつの寝顔をぼんやりと眺めた。
「最後まで、してくれればよかったのに……」
なんて小声でぼそっと呟く。
だって、今日が最後のチャンスだったのに……まぁ、こいつはそんなこと知らないから、ああやって余裕ぶれたんだろうけどさ…
なるべく、ベッドへ振動が伝わらないようにオレは慎重にベッドから下りる。
そして、玄関横のクローゼットへ向かい、そこを開け、その中から自分の荷物をすべて取り出した。
けれど、途中気になることがあって、非常識なことだとは理解しつつもそいつの荷物の中からあの銀色のナイフを取り出す。
テーブルの上のランプに火を灯し、その灯りで刃をじっくりと観察する。
すると案の定、魔物の毛や血、そして脂なんかが付着したままだった。
(はぁ……やっぱりな…だって、あいつがこれを手入れしてるとこ見掛けなかったもんな……)
なんて溜め息を吐きつつ、自分の荷物から汚れた布を取り出し、とりあえずは表面の汚れを簡単に拭き取る。
それから、汚れ取り用の洗剤を布に染み込ませてナイフの柄から刃先までの汚れを完全に取り去り、最後に研磨剤を少しだけ布につけ、軽く、優しく、ナイフの刃を磨きあげた。
再び、ランプの灯りにそのナイフをかざし、ちゃんと磨けたかを確認する…本当は日の光にかざした方が細かいところまで確認出来ていいんだけど…でも、日が昇る前にここを発つつもりだからそこまでは勘弁してくれ…と、心の中で持ち主に謝罪しておく。
そして、比較的綺麗な布をオレにしてはとても丁寧に畳んでその上にナイフを置いた。
「……」
それから、装備を着込んで荷物を携えるとオレはあることに気付く。
(そういえば、この部屋の扉…あいつにしか開けられないんだった…!!)
とても重要で、けれど冒険者のオレからしたらまったく日常的ではない“それ”がオレへの大きな障害となった。
(くそ、あいつには頼めないのに…! だって、理由を話せば絶対止めれるだろうし……)
なんて考えて、しばしその場に立ち尽くす…けれど、とあることに気付く。
(そうか…あいつの手でドアノブを回せればいいのか……)
携えた荷物を一旦玄関脇に置き、手袋も外した。
そして、ベッドで眠るそいつが起きないようにと願いながら何とか背中で支えると、オレは玄関へと歩き出す。
こいつがオレを運ぶ時はまるで造作もないことのようにするのにな…なんて思いながら歯を食いしばる。
「はぁ……はぁ……」
何とか玄関まで辿り着く…けれど、ドアノブを回せたとしてこいつを再びベッドまで運ぶ体力は残っていない…とオレは悟り、再び心の中でそいつに謝罪しながらそいつをカーペットの上に寝かせ、オレはベッドへと布団を剥ぎ取りに行く。
そしてその際、昨晩あいつがサイドテーブルに置いた“香り瓶”が目につき、これをあいつの側に置いておけば何かの役には立つかもしれないと考え、それも持って行くことにした。
カーペットに寝かせたそいつを再び背中で支え、何とかドアノブを回させることに成功する。
そして、開いた扉の隙間に荷物を差し込み、それを維持した。
「……トナさん…」
「!」
突然耳元で名前を呼ばれ、オレは思わず肩を震わせた。
やはり無理があったか! と腹を括ろうとした瞬間そいつの寝息が再び聞こえて来た。
「……」
寝言か……そう、オレは安堵するとゆっくりとそいつを背から下ろし、体の前で抱きかかえた。
オレより頭一個分以上も背が高くて、体も大きいから…胸の辺りまでしかオレの体では抱えてやれなかったけど…でも、そいつの体を両手と…体全体で包み込む。
(温かいな…)
今まで触れて来たどんなものよりお前が一番温かくて…大事に思えたよ……
そう思ったら、急に胸が苦しくなって…どうしようもなく涙が溢れた。
本当はこうなることが分かってたからこんなことするつもり、全然無かったのに……
溢れた涙がそいつの顔にこぼれ落ちる。
その涙を拭う…けれど、またそいつの顔に涙がこぼれ落ちる。
だから、もう離れなきゃダメだと思って…オレは最後に震える唇をそいつの唇に重ねた。
たった数日前に出会ったばかりなのにオレに好意を抱いてきた変わった魔術師…でもなぜか、そんなヤツにオレもすぐに絆されてしまって…だから、なんとかこいつから離れなきゃと思って色々と悪い部分を探してしまった。
けれどそれらは全部、こいつの悪い部分なんかじゃなくて……オレを想えばこその純粋な行いだったんだって今ならちゃんと理解出来る。
でも、もう…オレにそんなことはしなくていいし、オレのことなんか…想う必要もないんだ。
「お前は、オレなんかよりいい人に出会えるよ…だって、お前はこんなにいい子なんだから。
それこそ、血とかさ、そんなの関係無しにお前がこの人だって思える人が…
きっと、どこかにいるはずだから……」
そうだ、オレはたまたまこいつ好みの血を持っていただけ…
だから、きっと部分的な好意をこいつがオレへの全体的な好意と勘違いしただけなんだ…
けど、オレは…それでも十分嬉しかった。
嬉しかったけど……でもやっぱり、それを受け止め続けるのには罪悪感もあった。
だから、オレはお前が追いかけて来ないように何も言わずお前の元を離れることにしたんだ。
「じゃあな、キーオ……」
丁寧にゆっくりと…オレはキーオを手放す。
オレ、お前のこと……