Ep01 【プロローグ・トナ視点】
この世界には“冒険者”と呼ばれる人々がいる。
この世界では“冒険者”とは、魔物討伐を生業とする人のことを指す。
なぜならこの世界には魔物が多く住み着く薄気味悪い森がいくつもあるからだ。
本来なら、何か大きな組織…例えば国が討伐隊でも組織して、魔物討伐や森の浄化作業に努めるべきなのだろうが、そんな森は本当にいくつもある。
それも一桁とかそんな生易しい数じゃない…だから国はこの世界に住む人々にその役目を託すことにしたのだ。
つまり冒険者は人間の住まう領域へ魔物が足を踏み込まぬよう様々な町や村へ赴き、魔物を討伐する。
そして討伐した旨を国が各町や村に設立した“冒険者支援協会ルースアン”に報告をする。
すると国からその冒険者へと報酬が支払われるという仕組みになっている。
そうして生計を立てている冒険者はもちろん数多くいるし、オレもそのうちの1人なわけだ。
オレは5年ほど前に故郷の村を出て、冒険者となった。
それからはずっと、魔物を討伐しながら、町や村を転々とし、一人旅を続けている。
そして5年後の今現在、国の南西辺りの町で路銀を稼ぐため少しだけそこに長く滞在している。
南西の町のさらに南西のその森でオレは今、魔物討伐の真っ最中だ。
Ep02 【はじまり・トナ視点】
薄気味悪い森の少しだけ視界が開けた場所で狼型の魔物の群れに遭遇し、オレはそいつらと交戦する。
この狼型の魔物はなかなか連携のとれた動きをするため、少しでも対処を誤れば即、死に至らしめられる厄介な相手だ。
そのためこいつらを見掛けたらすぐに火を焚いて牽制しろ、という対処法が冒険者の間では主流になっている。
だが、オレはとにかくヤツらより早く動き、ヤツらより早く相手を仕留める、という戦法でずっとやって来た。
だから今回もその戦法で戦い、そして今、最後の一匹の喉元を剣で貫いたところだった。
喉元に深々と刺さった剣身に魔物の赤黒い血が伝い、鍔の縁に溜まり、地面へと滴る。
もう一声も発しなくなったそいつをゆっくりと地面に横たえさせ勢いよく剣を引き抜いた。
この森の瘴気に囚われ魔物化する以前…きっとこいつはさぞ名のある群れのリーダーだったのだろうと思いながら、そいつのしっぽをナイフで切り取る。
同じように他のヤツらからもしっぽを切り取り、最後のそれを採取袋の中にしまいながらオレは何となく空を仰いだ。
(ああ…雨が降り出しそうだな…)
今日は朝からずっと曇ってはいた。
けれど雨が降り出しそうな気配はなかったので、オレは今の今まで魔物討伐を行っていたわけだ。
だが、今の空模様はどうも怪しい…今から急に降り出してもおかしくない気がする。
(今日はもう宿に戻った方がよさそうだな)
しっぽを切り取るために使ったナイフを軽くマントで拭き、腰に下げたホルダーへと落とし込む。
それから全身から軽くホコリを払い、オレは町の方へと踵を返す――と、その時だった。
「!!」
町とは逆方向…つまり森のもっと奥の方から尋常ならざる魔物の咆哮が響いた。
これは窮地に追い込まれた魔物が発する己を鼓舞するための咆哮だ…
おそらく冒険者と対峙し、今まさにとどめを刺されるところなのだろう。 だが…
(少し様子を見に行った方がいいかもしれないな…)
もしその対峙している冒険者が歴戦の勇士ではなく経験の浅い冒険者だとしたら、突然の咆哮に怯んでいる可能性がある。
まぁ、こんな森の奥で魔物と戦っている冒険者に限ってそんなことはないと思うが、一応咆哮を聞いた身としては放っておけない。
オレは魔物の咆哮が聞こえた森の奥へと素早く駆け出した。
森の奥へ踏み入れば踏み入るほど立ち並ぶ木々もそこへ落とされる影も一層濃く深くなって行く。
だがオレはとにかくその場所へと急ぐためそれらを素早くかわし続け、ものの数十秒ほどでその場所へと辿り着いた。
少しだけ視界の開けたその場所…先ほどの狼型の魔物とは比べものにならないほど大きな魔物が右目を負傷し、真っ黒な血のようなものを流して鼻息荒く何かを牽制していた。
その視線の先…その魔物よりもより森の奥の方にいる何か…いや、誰かだ。
その誰かは地面に膝を折り、どこか苦しそうに浅く呼吸を繰り返しているように見える。
まさか魔物の攻撃を受けたのだろうか? それなら――
オレはそう思うよりも早くその魔物へと飛びかかり、その勢いのまま剣を抜き、出血していない左目へと攻撃を繰り出した。
すると、魔物が再び咆哮する…そうか、あの叫び声は右目を潰された時のものだったのか、などとオレは考えつつ、地面に着地するとまた素早く魔物へと飛びかかり、今度は地を踏み締めるその両足を剣で切り裂く。
バランスを崩した魔物がその大きな体を地面へ預けた瞬間、オレは地面を強く蹴り、高く飛び上がった。
そして両手で剣の鞘を握るとそれを垂直に構え、出来るだけすべての力が加わるよう高く掲げ、魔物の体に足が触れるよりも先に、素早く、けれど確実にその中核を貫くよう場所を選び、深々と剣を突き立てた。
魔物が三度咆哮した…けれど、今度は最後まで叫び切る前に大きく血を吐き出し…そして、琴切れた。
魔物の体から完全に力が抜け切ったのを確認し、オレは突き立てた剣を体から引き抜く。
そして勢いよく空を切り、剣に付着した血を払い、鞘に収めた。
少し魔物の血を浴びたな、と自分の衣服の汚れをザッと確認した後、魔物と交戦していたと思われる誰かの元へと歩みを進める。
あの魔物と誰かとの距離は、ざっと5メートルほどだろうか…
しかし魔物と交戦していたわりには場があまり荒れていないのが気になる。
が、だんだんとはっきりして来た誰かの姿をちゃんと確認して、オレは納得する。
紺色のケープに、長い髪をまとめる紺色のリボン。
紺色をシンボルカラーとして掲げるところと言えば…
(こいつトアルディア協会の魔術師か…)
“トアルディア協会”と言えば、腕利きの魔術師ばかりが在籍する“悪魔退治専門”の組織…だったはずだ。
そう考えてオレは先ほど納得したことに違和感を覚えた。
どうして悪魔退治専門の魔術師がこんな森の中であんな魔物を相手に苦戦していたのだろうか…
オレみたいな一介の冒険者でも倒せた魔物だ、腕利きの魔術師なら簡単に討伐出来る相手だろう。
けれど、オレは一介の冒険者なわけで魔術師のことを詳しく知っているわけではない。
だからオレには分からない魔術師なりの理由があったのだろうと推察した。
それに今はそんなことを考えている場合ではない。
まずはこの目の前の魔術師を介抱してやらないとだろう。
「おい、あんた大丈夫か?」
オレはその魔術師の前でしゃがみ、なるべく目線が合うように話し掛けた。
「……」
繰り返される浅い呼吸音が聞こえる…相当苦しいらしい。
「もしかしてあの魔物の攻撃をくらったのか? なら、傷薬くらいは持ってるが…」
と言いつつ、持ち物を漁ろうとしたオレだったが、
「いえ、すみません…ケガはしておりませんので大丈夫です…」
と言うそいつの言葉に手を止め、少しの間外していた視線をそいつへ戻す。
「…っ」
そしてオレは思わず息を呑んだ…やっとこちらを見たそいつの顔が…あまりに美しかったからだ。
シュッとした顔の輪郭、切れ長な真っ赤な目とそれを隠すように長く伸びたまつ毛、程よく形作られた眉毛からスッと伸びた鼻筋…そして顔色は確かにすこぶる悪いのだが、薄い唇の血色の悪さが逆にそれらを引き立てているようにも見えて…オレは何とも複雑な気分になった。
けれど、ほんの数秒ほど見惚れてしまっていたことに気付いたオレは、
「じゃ、じゃあ…魔力切れか何か起こしたのか?」
と慌ててそいつに再度質問を投げかけた。
「そう、ですね…多分そんなものです」
「? 多分?」
「すみません…危ないところを助けて頂いたのに詳しいことをお話することが出来ないんです…」
「え…」
何か腑に落ちなかったが、まぁ、それこそ魔術師なりの理由があるのだろう。
「…なあ、あんた…あんたは“トアルディア協会の魔術師”なんだよな?」
「はい、そうです」
「だったらそのあんたの仲間とか…そういうのは近くにいねぇのか?」
「今回の任務は単独でのものだったので同行者はいませんね」
「そう、なのか…」
オレはそれ以上言葉が続かず、そいつの顔をまた観察するだけになってしまった。
「あ…」
「?」
オレは持ち物の中から、そこそこ綺麗な手ぬぐいを取り出し、そいつの顔に浮かんだ汗を拭った。
「!」
そいつは一瞬、肩を震わせたが、オレが何をしているのか瞬時に理解して、特に抵抗もしなかった。
「トアルディア協会ってところは、結構厳しいところなんだな…」
「? なぜ、そう思われるのですか?」
「いや…オレみたいな一介の冒険者が何をって思われるかもしれねぇけど、
例えば今のあんたみたいに体調不良に陥った時なんかを想定してさ、
それをカバーしてくれる仲間を同行させてくれないのって、結構厳しいんじゃねぇの?」
「いえ、そんなことはありませんよ…
今回はただ僕が自分の体調管理をしっかり行えなかっただけのことですから」
「けどよ、オレみたいな有象無象の冒険者とは違ってあんたは世界のために働く貴重な魔術師じゃねぇか、
それも“トアルディア協会”の腕利きの魔術師ならもっと大事にされるべきなんじゃねぇのかな?」
「……」
そいつはオレの顔を真っ直ぐに見据えたまま、ちょっと驚いたような表情をしていた。
が、少しだけ表情を緩めて、
「あなたはとてもお優しい方ですね…そんなことを初対面で言って下さる方、僕は初めてお会いしました」
「え」
「けれどそれはあなただって一緒ですよ。あなたは有象無象の冒険者なんかじゃありません。
先ほどのあの魔物との戦いぶり…今までもさぞたくさんの魔物と戦い、そして討伐し、
様々な町や村に貢献されて来たのでしょう?」
「い、いや…そこまでのことはねぇけど…」
「けど、そんなあなたにも一緒に戦う仲間はいないんですよね?」
「!」
「あなたはおそらく他人と関わるのがあまり得意な方ではないんですよね?」
「……」
「実は僕もそうなんですよ…だから単独で行える任務を優先的に頂いているんです」
「…そっか」
「だから協会が厳しいなんてことはないんです」
「そっか…よく知りもせず、オレ酷いこと言ったな…悪かったよ」
「はい…けど、僕のことを思って言ってくれたことなんですよね? だから悪い気はしてませんよ」
「そうか…ならよかった」
オレはそう言うと握った手ぬぐいをそいつの手に押し付けた。
「ほら、これ貸してやるから、他のとこは自分で拭けよ」
「あ、すみません、ありがとうございます」
そいつは手ぬぐいを素直に受け取ると紺色のリボンでまとめた赤く長い髪を右手で持ち上げ、首回りの汗を拭い始める。
オレはそれを確認すると持ち物の中から飴玉を一個取り出し、それもそいつに渡す。
「一応これやっとくよ、もしかしたら単純に体力が尽きてるだけかもしれねぇからな」
「え、あ、ありがとうございます…」
「けど、まぁ、初対面の人間から貰う食い物なんか気持ち悪いかもしれねぇけどな―」
と、オレが言い終わる前にそいつは手渡した手ぬぐいを一旦自分の膝の上に置いて飴玉の包み紙を丁寧に剥がし、そして何のためらいもなくそれを口に含んだ。
「……」
オレがその一連の動作を見てあっけにとられているとそいつは含んだ飴玉を口の中で少し遊ばせた後、そんなオレの視線に気付き、
「え、あ…すみません、何か仰いましたか?」
ともごもごしながら問いかけて来たので、
「いや、何でもない…気にしないでくれ」
と、言う他なかった。
それからどれくらい経っただろうか…周囲に気を配りながら、そいつの体調が少しでも回復するのを待っていると頭に何か軽い物が当たった気がしてオレは空を仰いだ。
「あ、雨が降って来たな…」
空を覆う厚い雲からぽつりぽつりと雨の雫が落ちて来始めている。
「おい、あんたもう歩けそうか?」
「そうですね、頂いた飴のお陰でそれくらいは」
「そうか…じゃあ、急いで町まで戻るぞ」
オレはその場に立ち上がり、そいつの前に手を差し出す。
「町…ですか」
そいつはそう言いながらオレの手を取った…が、一向に立ち上がる気配はない。
「? あんたもあの町に宿を取ってるんだろ?」
「いえ、それが…」
「ん?」
「今回の任務が…単独で出来る本当に簡単なものだったので、宿泊施設の利用を考えていなかったんですよ…」
「え?」
「つまり、町に戻ったところで、今から宿泊出来る施設があるかは甚だ疑問なんですよね…」
「……」
マジか…こいつ、本当にマジか…
「…まぁ、宿のことは追々考えるとして…とりあえず町には戻ろうぜ?
こんなところでいつまでも雨に打たれてたらあんたの体調不良も悪化するだろ」
「はい、そうですね」
そう言ってそいつはオレの手を少し強く握りしめ、ゆっくりと立ち上がったので、オレはそいつに肩を貸そうと素早くそいつに寄り添おうとしたが…
「……」
「……」
何と、オレとそいつの身長は実に頭一個分以上も違っており、それは叶わなかった。